「必ずしもそれが事実だとは限らない」 すべての人々が抱いている観念、私たちはそれらを変える事ができる

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転載元:zeraniumのブログさんより

「必ずしもそれが事実だとは限らない」

   おそらくあなたが考えているのは、自分という「自己」は皮膚で覆われた肉体であり、それが空間に触れるところで終わるのだと、つまり自分は肉体の中にいるのだと思っているでしょう。しかし実は、あなたの周りの環境はあなたの自己の延長部分なのです。それはあなたのすべての経験が結実したものとして物理的な形態をとっています。

   内なる自己があなたの指や目などをつくっているように、あなたは確実にそして自動的に、あなたが思い描くイメージを形作っていくのです。あなたの環境は、あなたの考えや感情や観念が目に見えるかたちとして顕在化したものです。

   考えや感情や観念は、時空間を通り抜けることができるので、あなたは自分以外の物理的状況にも影響を与えます。あなたは自分の身体だけでなく、そのほかのすべてのものを単なる物質と同様に固体と見なしているでしょう。しかしあらゆる物体を調べれば調べるほど明らかになってくることは、すべてのものは細胞や分子、原子、電子、素粒子などの特定の形状を持つエネルギーに他ならないということです。それらは単なる物質そのものではなく、それぞれが物体を形成する神秘的な総体であることがわかってきます。

   あなたの体内では、絶えず原子は回転し、絶えず活発に活動しています。
   一つの緊密で堅固に見える身体も、実は光速で動き回るそうした粒子から構成されていることがわかります。それらはほとんどが相互に回転し、頻繁にエネルギーを交換しています。そして身体の外側の空間も構成比率は異なるとしても、実は同じ要素で構成されているのです。あなたが身体と呼ぶ構造とその外側の空間との間には、絶え間ない物質的な交換が行なわれています。それは化学的な相互作用であり、あなたが知るどんな生命にも欠くことのできない基本的な交換なのです。

   息を止めていたら身体は死にます。
   呼吸とはまさに交換であり、呼吸はあなたの身体感覚のうちでも、もっとも個人的で不可欠なものを表しています。それは「あなた」であるものから流れて出て、「あなた」でないように見える世界へと手渡される交換なのです。物理的に言うと、あなたの一部である息が絶えずあなたの身体から出ていき、外部の世界と混ざり合っているのです。

   アドレナリンが血中に放出されると、あなたの中に何が起きるかを知っているでしょう。本来アドレナリンはあなたを駆り立てて、活動に備えさせる分泌物です。しかしアドレナリンは、あなたの身体の内部にだけ留まっているわけではありません。その結果、あなたから放出されたアドレナリンは変容し、空気中に投じられて大気に影響を与えるのです。あなたが生み出すどのような感情もホルモンを発し、それらもまた呼吸と同じようにあなたから大気の中へ出ていきます。

   そしてこの時点で、あなたが生み出した化学物質は空中に放たれ、それが大気に影響を与えていることは否めません。嵐や暴風雨などもまた、そうした相互作用によって引き起こされています。繰り返しますが、つまりあなたが自分自身の現実をつくっているのです。天候とはそのわかりやすい一つの例であり、それはあなた方1人1人の反応が集合的にまとまった結果なのです。

   あなた方が肉体を持ってこの世界に存在しているのは、自分というエネルギー体が感情や想念に変換されて、それがすべての経験を引き起こしているのだということを悟り、理解するためなのです。あなた方がそこにいる理由はそれ以外にはありません。あなたがいったんこのことを理解したならば、自分の体験を形づくる自らの観念の性質を調べる必要があります。あなたの考え方や信念が、あなたにある方向付けを与え、それが自動的にあなたに感情や感じ方、考え方をさせているのであって、決して逆ではありません。

   自分自身の持つ観念や考え方に気づいてください。
   あなたが「事実だ」として受け入れているどのような考えも、他から受け入れた考えも、自分が内に持ち込んだ観念だということを知る必要があります。そして次に、「たとえ私がそれを信じていたとしても、必ずしもそれが事実だとは限らない」、と自分に言ってください。

   私はあなた方が、あらゆる観念や信念は「人間を本質的に制限する」ものであることに気づき、それらの観念や信念のすべてを無視するようになってほしいのです。

   観念や信念の生まれる原因については後に論じますが、まず自分の観念や信念がどういったものであるかを知るように努めてください。経験に制限の覆いをかける「間違った観念」の例をいくつか挙げましょう。それらのどれかに自分が「共感」していることに気づいたら、それがあなたが取り組むべき領域であると認識してください。

1)  人生は悲哀に満ちている。
2)  肉体とは低俗なものである。それは魂の乗り物として本来格が劣り、汚れている。


   多くの人々は、肉体は本来邪悪なものであり、肉体が持つ欲望も間違ったものだと考えているかもしれません。キリスト教徒たちは魂が肉体に降下したと考え、体を嘆かわしい惨めなものだと考えています。「降下」とは必然的に、より高いより良い状態から、より低い状態への変化を意味しています。

   東洋の宗教の信者たちもまた肉体を否定しており、そのために肉体を超越した「無」の状態になることが必要と考えています。表現は異なれど、地上の経験はそれだけで好ましくないものと信じているのです。

3)  状況は自分ではコントロールできないものであり、それに対して私は無力だ。
4)  自分の性格や個性は幼年期に形成されたものであり、私は自分の過去に左右されている。

5)  私は今も、過去世の影響下の出来事の成すがままにあって無力だ。
    私は過去世で他の人々に与えた仕打ちのために罰せられるべきだ。あるいは罰しているところだ。自分のカルマのせいで、私は自分の人生の否定的な面を受け入れなければならない。

6)  人間の本性は基本的に悪いものであり、彼らは私を傷つけるかもしれない。
7)  私は真理を知っているが、それを知っているものはほかにはいない。あるいは、私の属する宗教団体や組織には真理があるが、他のものにはない。

8)  年をとるに従い身体は虚弱になり、病気がちになるもので、力を失うものだ。
9)  私の今ある状態は私の肉体次第だ。肉体が滅びれば、それとともにいる私も死に、意識も消え去る。

   こうした以上のものは、かなり一般的になっている「誤った観念・信念」のリストです。
   では次に、もっと個人的な観念信念の具体例を挙げましょう。あなたもその中のどれか一つを、自分自身に対して抱いているかもしれません。

1 私は病弱だが、いつもずっとそうでこれからもそうだ。
2 お金にはどこか間違ったところがある。
   
   だから裕福な人は欲が深く、貧しい人よりも霊性が低い。
   金持ちの方が実際には不幸だし、俗っぽい生き方をしている。

3 私は創造性に欠けており、想像力がない。
    私は自分の望むことを決してすることができない。
    私はみんなに嫌われている。
    私は太っている。
    私はいつも運が悪く、損をしている。

   こうしたことはすべての人々が抱いている観念です。
   そしてそうした観念を抱いている人は、それなりの経験をすることになります。そのために、相互的にそうした物理的な事実がより一層あなたの観念を裏付けることになります。しかし元はと言えば、あなたの観念がその現実というリアリティを作り出したのです。

   そこで私たちは、あなた方のそのような制限のある観念を打ち砕こうとしているところです。最初にはっきり理解しなければならないことは、誰もあなたに代わってあなたの観念を変えることはできないということ、そしてその観念は外から押し付けられたものではないということです。ですから知識と応用力を使うことで、あなたは自分のためにすべての観念や信念を変えることができるのです。

   あなたの周りを見てください。
   あなたの物理的環境のすべてはあなたの観念が物質化したものなのです。喜びや悲しみの感覚や、健康や病気について、そうしたもののすべてがあなたの観念という意識によって引き起こされるのです。ある状況は避けられず、それがきっと自分を苦しめて不幸にするだろうと思っていればそうなっていくでしょう。そしてその不幸がさらにその状況を強化することになります。

   あなたの内側には、現実や自分自身について持っている考えを変える力があり、自分や他の人々に対して果たす、個人的な経験を創造する能力が本来的に備わっています。自分についての観念に気づくたびに、それを書き留めるようにしてください。そのリストは、後に非常に役に立つものになるでしょう。


       セス・ブック
   book 『個人的現実の本質』 
 ジェーン・ロバーツ著 ロバート・F・バッツ記録
       ナチュラルスピリット

          抜粋


セス・ブック 個人的現実の本質
ナチュラルスピリット
ジェーン・ロバーツ


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