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zoom RSS 再掲:お金が 『食べられない』 ことを悟るとき…ネイティブアメリカンの教え

<<   作成日時 : 2014/09/01 11:01   >>

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<< 作成日時 : 2014/01/27より再掲載



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アメリカンインディアンのことわざ

Only after the last tree has been cut down.
Only after the last river has been poisoned.
Only after the last fish has been caught.
Only then will you find that money cannot be eaten

最後の木が切られたとき、
最後の川が毒されたとき、
最後の魚が釣られたとき、
ようやくあなたは、お金が食べられないことを悟るだろう


アラフォーママの日記さんより抜粋して引用)



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▼【再掲】英(ロンドン商人)のジェームズタウン (バージニア州)侵略
<< 作成日時 : 2013/05/02 16:07
http://mizu888.at.webry.info/201305/article_5.html

白人侵略者とインディアン部族の悲劇

英国が北米大陸に初めて建設した永続的植民地のジェームズタウンで、初期の植民者らが食人をしていたという。14歳の少女の骨の分析から証拠が見つかったと米研究チームが5月1日に発表した。



イングランド人のジェームズタウンへの入植Wikipedea

1606年、トマス・スミスを中心とするロンドン商人は北アメリカ大陸への植民を目指した。
イングランド国王ジェームズ1世は植民事業のための会社設立に勅許状を与え、スミスらはジョイント・ストック・カンパニーであるロンドン会社を設立した。間もなくロンドン会社はバージニア会社と名を改め、出資者を募った。そして同年12月、最初の植民者105人を北アメリカ大陸に送った。

渡航者104名(1名は死亡した)を乗せたスーザン・コンスタント号など3隻の船は、翌1607年4月26日、ヘンリー岬に到着した。植民者たちは入植に適した土地を求めてジェームズ川をさかのぼり、5月13日、河口から約48キロメートルさかのぼった地点に上陸した。彼らはそこを入植地と定め、国王ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと命名した

ジェームズタウンは北アメリカ大陸におけるイギリス白人の最初の永続的植民地となった。

この場所はジェームズ川に突き出る半島となっており、先住民族であるインディアンの襲撃を防ぐには好都合な地形であった。しかしながらこの一帯は、潮水がせまる湿地であり、飲み水にも塩分が含まれ、またマラリアなどの疫病が発生しやすい地形であった。しかも入植者たちは、共同して生活の基盤を固める十分な用意ができていなかった。白人たちは同地でインディアンに出くわし、いきなり発砲するという暴力行為で彼らにその存在を知らしめた。

入植からわずか半年あまりで、入植者は飢えとマラリアで半分以下に減少した。1608年には38人にまで減少した。そのような混乱の中にあった入植者を救ったのは、ポウハタン族インディアンであった。ポウハタン族は「すべてを分け合う」というインディアンの理念に基づき、飢えた白人侵略者たちに食料や水を与え、彼らを援助した。

入植者側では、植民請負人のジョン・スミスが入植者に対して、全力で開拓にとりかかるよう説得を試み、入植地の実権を握った。イギリスが期待した黄金は同地にはなかったので、白人入植者たちはインディアンから恵んでもらったトウモロコシなどの穀物を栽培し、食料の確保に努めた。しかし慣れない地でのトウモロコシ栽培はうまくいかず、スミスは周辺を船でうろつき、沿岸のインディアン部族を武力で強迫し、食料を略奪して回った。



ジェームズタウンの虐殺Wikipedea

もともとこの地に原住し、白人入植者によって武力でここを追われたアメリカインディアンのポウハタン族による奇襲攻撃で、当時のイギリス人入植者人口の約1/3にあたる347人が殺害された。

当時、和平を結んではこれを自ら破り、インディアンの土地を侵略していく白人入植者の拡大は、原住民のインディアン部族を必然的な植民地戦争に追い込んでいた。

ポウハタン族の酋長(調停者)ワフンセナコク(ポウハタン酋長)は、こう述べている。
「お前たちの到来は、交易のためなどではない。
私の同胞を侵略し、私の国を占領するためだ。
私にはもう三度にわたってすべての同胞の死があった。
…平和と戦争の違いは、私はほかのどの部族よりもよく知っている
(彼はポウハタン族とイギリス人との戦争を予期している)。」


1610年にロンドンは植民地知事に、現地のインディアン部族すべてのキリスト教徒化と植民地への同化の方針を命じた。白人たちはワフンセナコク酋長を「インディアンの王」だと勘違いしていたので、ポウハタン連邦に対するすべての盟約を彼と結ぶことによって、植民地支配を確立しようとした。

しかし、ポウハタン連邦は合議制の連邦制社会であり、ポウハタン酋長はこの連邦の中の一調停者にすぎない。ポウハタン酋長と白人が土地取引に関する条約に調印し、「土地を買った」つもりになったとしても、それは他の部族員とは関係のないものである。

そもそもインディアンに「土地を売り買いする」という文化は無いから、インディアンたちはこれを理解していない。インディアンにとって土地はみんなのものであり、だれのものでもない。

白人の文化のごり押しはインディアンの反発を招くだけだった。

1609年から1613年にかけて行われた「第1次アングロ・ポウハタン戦争」のあと、1614年にポウハタン族の酋長ワフンセナコク(Wahunsenacawh)の娘ポカホンタスとタバコ栽培を確立したイングランド人入植者ジョン・ロルフが結婚したことにより、イングランド人入植者とポウハタン族との間には一時的な平和が訪れた。

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