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<<   作成日時 : 2014/09/10 01:19   >>

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転載元:唖蝉坊の日記さんより

仲秋の名月とかぐや姫


「竹取物語あらすじ」

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むかし、むかし

竹を取り、暮らしを立てているお爺さんとおばあさんがいました。お爺さんの名前は「さかきの造」(さかきのみやつこ)と言います。 ※讃岐造(さぬきのみやつこ)とする本もある。

ある日、お爺さんが竹林にでかけると、光り輝く竹がありました。不思議に思って近寄ってみると、中から三寸(約 9 cm)程の可愛らしいことこの上ない女の子が出て来たので、自分たちの子供として育てることにしました。

※この物語には「三」という数字が頻出する。

そのも、お爺さんは、竹の中に黄金を見つける日が続き、お爺さん夫婦の暮らしは豊かになっていきました。お爺さんが見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで妙齢の娘になっりましたので、髪を結い上げる儀式を行い、裳を着せました。

この世のものとは思えない程の美しさで、家の中には暗い場が無くなるほどに光が満ちました。お爺さんは、心がどんな辛いことがあっても、この子を見れば苦労は消えました。

やがて、この子がとても大きくなったので、御室戸斎部(みむろどいんべ)の秋田という者を呼んで名前をつけさせました。

※(斎部氏は朝廷の祭祀を司る氏族)

秋田は「なよ竹のかぐや姫」と名づけました。

※光ることをかがやく【輝く/耀く「かがよう」という)事に因む

このとき人を集めて詩歌や舞など色々な遊びを催し、三日に渡り盛大な祝宴をしました。


美しいかぐや姫を見た世間の男は貴賤を問わず、どうにかしてかぐや姫と結婚したいと、恋い焦がれ慕い思い悩みました。その姿を覗き見ようと竹取のお爺さんの家の周りをうろつくお公家たちが後を絶たず、彼らはこの家の垣根や門、そして、家の中に入ってくる者までいましたが、かぐや姫を容易に見られなかったので、誰も彼もが夜も寝ず、闇夜に出でて、家のあちらこちらに穴を掘って、覗き込むほど夢中になっていきました。

そのような時から、女に求婚することを「よばひ」(夜這い)と言うようになったのです。

その内に、諦めの早い者は来なくなっていきました。


最後に残ったのは色好みといわれる五人の公家で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきました。

その五人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂という方々でした。

これを見てお爺さんは、かぐや姫に「仏のように大切なわが子よ、神仏の化身よ」わしも七十となり今日とも明日とも知れない身、この世の男女は結婚するものだ。

あなたも結婚しないままいるわけにはゆくまい」と言うと、かぐや姫は、「私ごとき良くもない容姿で、相手の深い心も知らずに結婚して、浮気でもされたら後悔するに違いありません」と云い、「いかに御身分の高い、畏れ多い方々であっても、深い愛を知らないままに結婚はできません。ほんのちょっとしたことです。


『私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう』と彼らに伝えてください」と婿選びの条件を付けました。

夜になると例の五人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らしたりしていた。翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えました。


かぐや姫が出した結婚の条件は、

石作皇子には「仏の御石の鉢」

車持皇子には「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」

右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも、焼いても燃えない布)」

大納言大伴御行には「龍の首の珠」、中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」


を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞云いた事がない、珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難でした。

石作皇子は大和国十市郡の山寺にあった只の鉢を持っていき嘘がばれてしまいましたので鉢を捨ててしまいましたが、まだ執こく言い寄ったものだから、「鉢=はじ=恥を捨てる」という言葉ができたのだそうです。


車持皇子は玉の枝の偽物を職人たちに作らせ持参したところ、その報酬を支払われていないと、職人たちがやってきて騒いだため、偽物と発覚、長い年月姿が見えなかったことから「たまさかに」(偶さか=まれ)と言うようになった。


阿倍は唐の商人から火鼠の皮衣を購入した。この衣は本来燃えぬはずであったが、姫が焼いてみると燃えたので贋作と分かり、阿倍に因んでやり遂げられないことを「あへなし」(敢えなく)と言うようになった。

大伴は船で探索するが嵐に遭い、更に重病にかかり両目は二つの李(すもも)のようになり、世間の人々が「大伴の大納言は、龍の首の珠を取りなさったのか」「いや、御目に二つ李のような珠をつけていらっしゃる」「ああ食べがたし」と言ったことから、理に合わないことを「ああ堪へがたし」(ああ堪え難い)と言うようになった。


石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って子安貝らしきものを掴んだが転落して腰を打ち、しかも掴んだのは燕の古い糞であり貝は無かったことから、期待外れのことを「貝なし」(甲斐がない)と言うようになったそうです。


その後、中納言が気弱になり病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」と見舞いの歌を送ると中納言はかろうじて、「あなたの歌を頂けたのだから)かひはかくありける」と返歌を書き息絶えました。

これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思ったことから、少し嬉しいことを「かひあり」(甲斐がある)と言うようになったそうです。

結局、かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていませんでした。

そんな様子が帝にも伝わり、帝は姫に会いたくなりました。

喜ぶお爺さんの取りなしにもかかわらずかぐや姫は「帝がお召しになって仰られたとしても、畏れ多いとも思いません」と言い姿を見せようともしません。

帝は「私は、これまでに多くの人を殺してきたぞ」と脅しをかけ、なおかぐや姫の強情さに負けてなるものかと諦めません。

かぐや姫は「無理にお仕えさせようとなさるならば消え失せてしまうつもりです」と翁に言いました。

その後、帝は狩りに行くついでに不意をつきかぐや姫の家に入ると、光に満ちて清らかに坐っている人を見た。

帝は初めて見たかぐや姫を類なく美しく思い、神輿を寄せて連れて行こうとしたが、姫は一瞬のうちに姿を影と化したのです。



帝は本当に地上の人間ではないと思ったが、より一層恋慕の情抑えがたく、魂をその場に留め置いて、でかぐや姫を残してお帰りになりました。

日頃仕えている女官たちを見ると、かぐや姫の足元にも及びません。

今まであんな美人見たこともないと思っていた宮中の女官たちも、あのかぐや姫に比べると人並以下でしかありませんでした。

それからの帝は、かぐや姫ばかりが心にかかって、女人を近づけす、ただ一人で過ごしておられ、かぐや姫のもとにだけは、連日和歌を書いて返歌をを待つと云う日々が続いていました。

月へ帰って行くかぐや姫

帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになりました。

八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、お爺さんが問い糺すと「私は、この地上の者でではありません、月の都の者でございます、明後日の十五日に帰らねばなりません。月から迎えが参ります。ほんの少しの間ということであの国からやって参りましたが、思わず長い年月を経てしまいました。御名残り惜しゅうはございますが、私の心のままにはなりません。ここでお暇申し上げとうございます」と初めて心の内を打ち明けました。

それを知った帝は、お爺さんの意を受けて、軍勢を送ることとなった。 その十五日には、各役所に命じ勅使として中将高野の大国を指名し、六衛府を合せて二千人を竹取の家に派遣することになりました。 家の周囲は築地の上に千人、建物の上に千人、家の使用人がとても多かったのと合わせて、蟻の派夷いる隙もなく守らせました。



お婆さんは、周囲を壁で塗りめた部屋のなかかぐや姫を抱きしめ、お爺さんも部屋の戸に錠を下ろして戸口の前で張番をしています。

かぐや姫は「私を閉じ込めて、守り戦う準備をして頂いても、あの国の人に対して戦うことはできません。弓矢で射ることもできないでしょう。このように閉じ込めていても、あの国の人が来たら、みな開いてしまいます。戦おうとしても、あの国の人が来たならば、勇猛な武士の方々も、戦う心を失ってしまします」と云いました。

しかし、お爺さんは迎えの者どもを、長い爪で目玉を掴み潰し、髪の毛を掴んで引き落とし、尻をひん剥いて、役人たちに見せて恥をかかせてやろうと腹立ちまぎれに力んでいます。



すると、かぐや姫は「大声で仰いますな。屋根の上にいる者どもが聞くと、大層よろしくございません。お爺さま、お婆さまのこれまでのご愛情をわきまえもしないでお別れしようとすることが、残念でございます。両親に対するお世話を、僅かも致さずに、帰っていく道中も安らかにはなりますまい。

月の都の人は、とても清らかで美しく、老いることもないのです。心配事もありません。でも、そのような所へ戻ることを嬉しいとも存じません」と言いました。

やがて、子の刻(真夜中頃)

突然、家の周りが昼のよりも明るくなり、まぶしい光が射してきました。大空から人が雲に乗って降り地面から五尺(約1.5メートル)ほど高いところに浮いたまま大勢の迎え人が立ち並んでいます。

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竹取り家の警護にあたっていた武士たちは、得体が知れない存在に気おされて、全員が戦意喪失、茫然としているだけでした。何とか心を奮って弓矢を構えようとしても、手に力が入らず萎えてしまうのです。

気丈な者が堪えて射ようとしましたが、矢はあらぬ方へ飛んでいき、ただ茫然とお互い見つめ合っているだけでした。迎えの長と思われる人物が「造麻呂、出て参れ」と命令しても、猛々しかった造麻呂は酔ったように朦朧として、地にうつ伏せになりひれ伏しています。


迎えの長は「お前たち幼き者よ、天界と人界では時の感覚が異なり、我らから見れば年寄りといえど「幼き人」だ。

僅かばかりの間ということで姫を下したが、爺さんの世話で姫無事暮らせた、その善行により暮らしの助けにと、我々は長い年月に多くの黄金を遣わし、お前は生まれ変わったように金持ちになった。

かぐや姫は罪を御作りになったので地上に降ろされた。このように賤しいお前の元にしばらくいらっしゃったのだ。

姫の罪の期限は過ぎた。早くお出し申しあげよ」とお爺さんに言云いましたが、お爺さんは従いません。

屋根の上に飛ぶ車を近づけて「さあ、かぐや姫。穢れた所にどうして長く居られるのでしょうか」と言うと、締め切っていた戸や格子が即座に開いていきました。

すると、お婆さんが抱きかかえて座っていたかぐや姫はスッと立ち上がり、外に出て行きました。

「かぐや姫が、せめて天に上っていくのだけでもお見送りさせてください」と老夫婦は泣き伏しました。かぐや姫も心乱れましたが「この先、私を恋しく思いだされた折々に、取り出してご覧くださいませ」と手紙を置きました。

天人の従者に持たせた箱には天の羽衣が、また別の箱には不死の薬が入っています。 一人の天人が姫に「穢い所の物を召し上がっていたのでご気分が悪いことでしょう」と言い薬を持って寄ったのでかぐや姫は僅かに嘗め、帝への手紙と歌を書き、薬を添えて頭中将へ渡させました。



中将が受け取ると、天人はさっと天の羽衣をかぐや姫に着せたので、かぐや姫のこれまでお爺さんを痛ましい、愛しいと思っていた心が急に消えてしまったのです。

この羽衣を着た人は煩悩がなくなってしまうので、かぐや姫は何の執着もなく車に乗って昇ってしまいました。


帝は手紙を読みひどく深く悲しみ、何も食べず詩歌管弦もなさいませんでした。


大臣や上達部をお呼びになり「どの山が天に近いか」とお尋ねになると、ある人が駿河の国にある山だと言うのを、お聞きになりますが「会うことも無いので、こぼれ落ちる涙に浮かんでいるようなわが身にとって、不死の薬が何になろう」と歌を詠まれ、かぐや姫からの不死の薬と手紙を、壺も添えて使者に渡し、つきの岩笠という人を召して、それらを駿河国にある日本で一番高い山で焼くように命じました。


その由緒を謹んで受け、「武士を大勢連れて不死薬を焼きに山へ登った」ことから、その山を武士の山=富士の山と名づけられたと云う事ですが、それは何かこじつけのようで、本当は、不死の薬を燃やしたから「不死の山」転じて「不二の山」から「富士の山」となったのではないでしょうか。



◇◇何故かぐや姫が月へ帰る日を8月の満月の日を選んだかと云えば、この時が月と地球の距離が一番近いからです。

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かぐや姫は月の裏側に今も実在しているのではないでしょうか。彼女は五次元以上の存在で、月の都の法を犯して汚らわしい地球という三次元の監獄に下ろされたのでしょう。SFでは地球は宇宙のゴミ捨て場、ET犯罪人の収容所になっていたと云うような話があります。



地球は宇宙人の刑務所だった!? 米・生態学者が発表


アメリカの生態学者エリス・シルバー博士が、人類は地球上にもともと存在していたわけではなく、20万年〜6万年前の間に、エイリアンによって地球へと送り込まれたのだと主張しています。

その上でエリス博士は、「多くの人々は、地球上に自分のいる場所がないかのような心もとなさを感じることがあるのではないだろうか」「私にとってこの事実は、少なくとも人類がかつて別の星におり、“高度に発達した種(しゅ)”によって地球へと連れてこられたことを示しているように思えてなりません」と語っているそうです。

http://tocana.jp/2013/11/post_3238_entry.html

◇この仮説には大いに賛同します。我々人類はアヌンアキのDNA操作で産まれた奴隷であったと云うのが最近のスピ系の定説になっていますが、月の住人から見ると地球と地球人は汚らわしいと見えると云うのは、彼らがアヌンナキだからではないでしょうか?つまりかぐや姫もアヌンアキの1人だったと云う事です。

そのほか、地球に派スターピープルとかウオークイン、或いはインディゴ、クリスタル、などと呼ばれる人々がいますが、彼らは地球に棄てられた我々を助けるために来ていると云われています。我々は日常的に恐怖や心配事(煩悩)で一杯ですが、かぐや姫も云い寄るあまたの男、帝の誘いに悩み、養ってくれたお爺さん、お婆さんに対する愛情を振り切って去ることへの申し訳なさなど人間の様々な感情に揺れ悩みます。

しかし天の羽衣を着せられると、とたんに三次元世界の存在が疎ましくなり、何の未練もなく去って行ったという一節が非常に興味が湧きます。

三次元地球上の暮らしには108の煩悩に絡め取られそこからなかなか逃れられずにいますが、我々も羽衣=セントラルサンのフォトンを浴びることが出来れば、108の煩悩が消滅し、ライフ・ステージが上がるのではないかと考えられるのではないでしょうか?

多分それがアセンションなのでは?

(転載終了)






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