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zoom RSS 自動的に作動する「因果応報の法則」:真理は魂がそれを悟る準備ができた時に始めて学ぶことができるもの

<<   作成日時 : 2014/07/18 14:39   >>

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転載元:zeraniumのブログさんより

自動的に作動する「因果応報の法則」

Q、 人間1人1人に守護霊がついているそうですが・・・。

シルバー・バーチ  母体における瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間を守護する任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた義務と責任の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を自覚する人間とそうでない人間とでは、生き方が大いに違ってきます。自覚している人間であれば、守護霊の方も援助しやすくなります。守護霊は決まって1人ですが、その援助に当る霊的存在たちも何人かおります。

Q、 私たちが地上で犯す罪や過ちは、必ず地上生活において報いを受けるのでしょうか?

シルバー・バーチ  その場合もありますが、そうでない場合もあります。
             つまりそれは因果応報、因果律ということですが、必ずしも地上での生活の間に成就されるとは限りません。しかしつくられた原因には必ず結果が伴うので、それは必ず成就されます。そこに時間的なずれが見られるのは、その出来事の性質によっては適切な状況が必要になってくるからです。

   しかしその作用には情状酌量といったお情けの入る余地はなく、ほとんど機械的に作動します。自分の行為は自らの霊に記録されてそれなりの結果を生み出すので、それだけ苦しむことになります。そこにはさまざまな事情が絡んでおり、そうした複雑な構造の中で行なわれる因果律ですが、因果律の根本的目的が霊性の進化にあることだけは確かなことです。

   神の法ともいうべき「宇宙の法則」が支配していないところは、この宇宙のどこを探しても存在しません。それはあなた方人間の人智の及ばないところまでも、完全にその法則が支配しているのです。大自然の法則は完璧です。私たちはただその働きを知っているに過ぎません。原因があれば結果があり、その結果が新しい原因となってまた次の結果を生み出していくという法則です。その間には何者も介入することを許されず、偶然もなければ、運不運もありません。ただ法則があるだけなのです。

Q、 ある人は汚いスラム街に生まれ、またある人は美しいものに囲まれた環境に生まれますが、こうした不公平はどうなるのでしょうか?

   あなた方の誰もが、富んだ生活や貧しい生活を等しく経験してきています。
   大切なことはその経験が魂の進化を促すことにあるので、そうした機会はあなた方すべての人々に等しく与えられています。そうした環境は物質的なものさしで言えば不公平と見えるかもしれませんが、肝心なことは、その環境を通じて「魂の因縁」を解消していくことにあります。因果律は魂の進化のためにあります。環境が厳しいほど魂は強くなり、悟りは環境との闘いの中から生まれるのです。そのことを知る偉大な霊魂は、あえて厳しい環境を選ぶことがあります。

Q、 地震というのは、地球の進化の過程における一種の浄化作用だということですが、その活動で人間が犠牲になるのは不公平ではないでしょうか?

   死ぬということは決して不幸でも災難でもありません。
   私たちの側から見れば、魂が肉体の牢獄から解放されるのは祝福すべき出来事なのです。

Q、 ではそうした災害で亡くなる人は、その時期に死ぬべき人だったということなのでしょうか?

   その通りです。
   前世の因縁によってそこに居合わせたということです。

Q、 大きなカルマ(業)を背負って生まれてきた人間が、何かのキッカケで愛と奉仕の生活に入った場合、その業(ごう)がいっぺんに消えるということはあり得るのですか?

   自然の法則の根本は、あくまでも原因と結果の法則である因果律です。
   カルマもその法則の働きの中で消されていくのであり、途中の過程を飛び越えて一気に消えることはありません。原因があればそれ相当の結果が生じるもので、その結果の中に次の結果を生み出す原因が宿されており、因果律はほとんど機械的に作動します。しかし質問にあるように、その後の生き方によっては業の消滅を早めることができるでしょうが、一度にというわけにはいきません。愛と奉仕の生活を積み重ねていくうちに徐々に消えていき、やがて完全に消滅するでしょう。業という借金をすっかり返済したことになります。

Q、 戦争や事故、疫病などで何万人もの人間が死亡した場合もカルマだと考えるべきでしょうか? そうした事故で、持って生まれた寿命より早く死ぬことはないのでしょうか? もし戦争が避けられないことだとするなら、それは国家的なカルマということになるのでしょうか? 

   カルマというのは、結局のところ因果応報ということです。
   つまり、善なる原因が善なる結果を生み、悪い因縁が悪い結果を生むという大自然の因果律の一部です。その働きには誰も介入することは許されません。もしも介入が許されるとすれば、神の公正である宇宙の法則は根底から崩れてしまいます。因果律は、行なう人にそれ相当の報酬を与えるように働き、それが多すぎたり少なすぎたりすることがないように配慮されています。それは当然、それぞれの個人だけでなく個人の集まりである国家についても当てはまります。

   寿命というものは、本来魂そのものが決定するものです。
   個人には自由意志があり、さまざまな事情から寿命を縮めたり伸ばしたりさせることも不可能ではありません。戦争が不可避かとの質問ですが、これはあなた方人間自身が解決するべき問題です。自由意志によって好きなように勝手なことをしておきながら、その報酬は受けたくないというような都合のいい話は許されないのです。戦争をするもしないも人間の自由ですが、もし戦争の道を選ぶなら、それを「モノサシ」として責任問題、つまりカルマが生じるのは当然です。

Q、 飛行機事故のような惨事は、犠牲者やその親族がカルマを消すために前もって計画されているというような考えは、私には得心がいきませんが・・・。

   その質問にはいろんな問題が含まれています。
   まず”計画されている”という表現は妥当ではなく、それだとまるで故意に、計画的に惨事を引き起こしているかのように聞こえます。すべての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。また犠牲者という言い方も、実際の出来事においては別の観点があることを知ってください。

   あなた方にとって「死」は確かに恐るべき出来事でしょうが、別次元に生きる私たちにとっては死はある意味喜ぶべき出来事なのです。赤ちゃんが誕生すればあなた方は喜ぶでしょうが、実はこちらでは泣き悲しんでいる人がいるのです。またそちらで死んで肉体の束縛から解放された人を、こちらでは大喜びでお迎えすることになります。

   次に宿命についてですが、この真相についてあなた方が理解するのは困難と思われますが、宿命というものが宇宙の大きな機構の中で重大な要素を占めています。これは運命と自由意志という相反する2つの要素が絡み合った問題であり、つまり運命づけられた一定の枠の中で自由意志が許されているのです。

   悲しみは、魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも、特に深甚なる意味を持つものです。悲しみはそれが心の琴線に触れた時、眠れる魂の目を一番よく醒まさせるものです。魂が肉体の奥深くに埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほど強烈な体験を必要とするのです。そのために悲しみや無念、病気や不幸などは、地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。

   繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備ができた時に始めて学ぶことができるものです。つまり霊的な受け入れ態勢ができるまでは、決して真理に目覚めることはありません。こちらからどのような援助の手を差し伸べても、それを受け入れる準備ができていないならば受け取ることはできません。


book 『古代霊は語る』シルバー・バーチの霊訓より
近藤千雄訳編 潮文社


(転載終了)

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