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zoom RSS 『魂の法則』 認めないものを克服はできず、必然的に進化は停滞する

<<   作成日時 : 2014/07/16 10:24   >>

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転載元:zeraniumのブログさんより

『魂の法則』認めないものを克服はできず、必然的に進化は停滞する

Q、 私たちは多くの場合、自分を1人ぼっちで孤独だと思って苦しむのですが、それはどうしてなのでしょうか?

   あなた方には実は霊的な家族がいる。
   つまりあなた方の誰もが、多くの霊的な存在から愛されているものだ。それはまず至高の創造主から、次ぎに決してあなた方を見捨てることのないそれぞれの守護霊から、そしてその他の多くの存在たちである。その多くは、すでに現世を去ったかつての家族や友人たちである。しかもそれだけでなく、あなた方全員には伴侶ともいうべきツインソウル(双子の魂)がおり、それは愛し始めるには最適な相手でもある。彼らの中には、あなた方と同じ時期に転生している者もいるが、場合によって今世の家族の一員であったりなかったり、あるいは単に仲の良い人であったりする。

   あなた方の苦悩の原因は、霊界から支えてくれている存在や仲間とのつながりを知らず、霊的な世界から隔離されて暮らしているからである。つまり、頭や五感からの要求にのみ応えるために一生懸命であり、心に感じる思いとはかけ離れていて、やろうと決めてきた地上での使命を自覚できないためなのだ。

   1つはっきりさせておこう。
   それは今の物質世界で独りだと感じられたとしても、実際にはあなた方からは見えない世界においては、決して孤独である事などあり得ない。この「つながり」を発見し、その繊細な扉の向こう側に本当の生を見出すことができるかどうかは、1人1人にかかっている。そしてその扉を開くことのできる「鍵」は、愛の感情だけなのだ。心を込めて願うならば、あなた方の感受性を目覚めさせ、あなたの苦悩を癒してくれる「助け」が得られることに気づくだろう。だがそれを受け取るためには、愛を阻(はば)む鎧(よろい)を自から脱がなくてはならない。なぜなら、1人で孤立していたいと願う者の意志は最大限尊重されるからである。

Q、 愛を具体的に経験するとどうなりますか?

   人は真の愛を体験すると、充足して完全な幸福を感じ、高い波動と力の感覚で満たされる。そしてもうそれ以上、他には何も必要とはしなくなる。真の愛と感応した魂は、他者を自分自身の一部のように感じるので他人にも喜びを伝え、幸せになる手助けをしたいと望む。愛の度量が大きければ大きいほど波動は高くなり、伝えられるエネルギー量も増える。人が愛する時には、この愛の波動を伝えているのだ。受け手が敏感であれば、その押し寄せる強いエネルギーの感覚と、体中をめぐる波動を感じることができる。

   このように内面が満ち足りた状態では、人は楽観的で明るく、安らぎと冷静さにあり、自分の問題はそれほど深刻ではないと理解する。しかしあなた方は非常に物質的になっているので、そうした感受性を持つことができない。そのためほとんどの人々は、愛を感じることではなく、行為のみを評価する。しかもなぜそうであるのかも理解していない。

Q、 愛が「魂の法則」で必須のものであるのなら、なぜ皆、愛せるように生まれてついていないのでしょうか?

   愛する能力は、それぞれの魂が自分の進化に応じて、独自に発達させなければならない能力の1つである。愛するためには、自分自身でいなくてはならない。自分自身でいるためには、先ず自分というものを知らねばならない。他者への愛に成長したければ、自分を知り、自分を愛することから学びなさい。自分自身を愛せない者には、他人も愛することができないからである。あなた方は愛とエゴを混同しており、愛の概念を間違って理解している。

   愛はその現れにおいて、無条件でなければならない。
   本当に愛する者は、何の見返りも期待しない。自分の得るもののゆえに行動する者は、本当には愛してはいない。愛は自由でなければならず、そうでなければ愛ではない。人を強制して、愛するように仕向けることはできない。

   愛したいと願う者は、エゴを放棄することを望まねばならない。
   愛とエゴは、互いに両立し得ない正反対の概念である。エゴとは実際には「愛の欠如」であり、ゆえにエゴを放棄しなければ愛することはできない。つまり愛することを学ぶというのは、エゴからの脱却を学ぶことなのだ。

   魂がほとんど成長していない初期の段階では、自分より進化している存在から受ける愛を情動として体験し、それを快く感じるものである。また一方で、愛を装ったエゴを体験して不快を感じる必要もある。こうした感情は、そうしたものを区別し評価できるようになるための刺激となる。

   魂が他者からの愛を認識できるようになり、最初に初めての愛情が芽生えるのは、通常は家族の誰かや身近な人々に対してである。自分に冷たい態度をする人には敵対心を抱き、関わりのない人はただの無関心な人である。この段階の魂は、愛すると情熱的ではあるが、それを失うと報復的で恨みに思う。

   より進化した次の段階では、魂は苦しみ自体が愛とは相容れない否定的なことだと気づくようになる。そしてもはや、自分を傷つけた者に害を与えることを望まず、自分が受けた痛手を賠償させる手段であった復讐を放棄する。この段階を、進歩した条件づきの愛と呼ぶことができる。

   次に、魂の理解力と感受性のレベルがかなり高まると、自分を憎み、さげすみ、耐え難い苦痛を与えた者たちも含めて、この世に存在するすべてのものを愛するという、大きな飛躍を遂げる準備が整う。つまり、無条件の愛に達する最終段階に入るのだ。

Q、 これらの段階をわかりやすく要約してください。

   よろしい。よく理解できるように分けてみよう。

1 愛の受け手としても、送り手としても鈍感。

2 愛の受け手として部分的に敏感であり、送り手としては鈍感。

3 愛の受け手として敏感で、送り手として部分的に敏感(条件づきの愛)。

4 受け手としても、送り手としても、とても敏感(進歩した条件づきの愛)。

5 受け手としても送り手としても、完全に敏感(無条件の愛)。


   進化の初期の段階では、魂は情動しか感じることができず、通常こうした情動は外界からの刺激に反応しているだけに過ぎない。情動というものは、人間以前の段階から発達し始めているもので、実際に犬や猫、牛や馬などの多くの高等哺乳類がかなり深い情動を表現する。この情動を感じる体験を重ねることで、魂は感情を発達させるようになり、つまり感情とは情動の進化した形態なのである。

Q、 情動と感情の違いをもっと詳しく説明してください。

   感情と情動は緊密に結びついている。
   外からの影響で感じられた情動は、特に感情に影響を与えてそれを呼び覚ましたり、抑制させる刺激となる。最も発達した感情は愛である。魂が無条件の愛の感情を体験するようになると、それは永遠に尽きない感情なので、もはやそれを目覚めさせたり、育てたりするための外からのいかなる刺激も必要とはしなくなる。

   愛の情動や感情は魂から生まれるが、思考は頭脳から生まれる。
   そしてエゴ的な要素は、頭脳から生まれる。

   人はそれぞれが、エゴを消去するためのさまざまな地点にいる。
   このプロセスは連続的なもので、大きく3つのグループに分けることができる。1つは「親切で見栄っ張りな魂」、次に「寛大でプライドの高い魂」、そして「愛情深くて尊大な魂」である。

Q、 なぜ、肯定的なものと否定的なものを使って分類するのですか?

   それは利己的な部分だけではなく、それぞれの段階にいる魂が発達させている資質も認めたいからである。つまり否定的な面は魂のエゴの段階を示しており、肯定的な面は到達可能な資質を表している。虚栄心に満ちた者は非常に親切になれるし、自尊心の強い者はとても寛大になれ、また自負心のある者は、エゴに打ち克とうと戦う時にとても愛情深くなれるのだ。

   我々1人1人の中にエゴが存在することを認め、それを自覚して克服するために定義づけするのは悪いことではない。魂にとって一番悪いことは、自らのエゴの存在を認めないことである。つまり、本当に愛して真に幸せになるために、取り除くべき利己的な部分を持っているという現実を認めないことである。認めないものを克服することはできず、エゴを認識することができないならば、必然的に歩みは停滞してしまう。

book 『魂の法則』 
ヴィンセント・ギリェム著 ナチュラルスピリット


(転載終了)





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