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zoom RSS 日本銀行創設とロスチャイルド家_(日銀は誰がどのようにして創設したのか)

<<   作成日時 : 2014/07/13 07:20   >>

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転載元:シャンティフーラの時事ブログさんより

[Electronic Journal]「日本銀行創設とロスチャイルド家


[Electronic Journal]「日本銀行創設とロスチャイルド家」

竹下雅敏氏からの情報です。

 以前のコメントで、現在のひどい経済状態が日銀によるものだと書きましたが、これはそもそもリチャード・ヴェルナー氏の「円の支配者」に詳しく書かれている事柄です。下記の記事では、その内容が簡潔に記されています。ヴェルナー氏の著作は経済の根幹を知る上で最も重要なものです。氏の著作を読まないで、経済を論じることは無意味です。権力者はよほどこの本が脅威なのでしょう。流通しないように様々な手を打っているようです。
(竹下雅敏)

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「日本銀行創設とロスチャイルド家」(EJ第3831号)

転載元より抜粋) Electronic Journal 14/7/11

 日銀と大蔵省の「たすきがけ人事」で、大蔵省出身の日銀総裁が力を発揮できなかったのは、金利政策はともかくとして、通貨供給量の設定と制御については、まったく蚊帳の外に置かれてしまったからです。本当の意味で景気を左右するのは通貨供給量であって、これにタッチできないとすれば、日銀総裁としての仕事はできないのです。

 それでは、それは誰がやっていたのでしょうか。

 それは日銀生え抜きの副総裁と営業局長が、「窓口指導」というシステムでやっていたのです。「窓口指導」は、昨日のEJで述べましたが、日銀総裁──大蔵省出身の総裁の場合は副総裁が融資総額の伸び率を決定し、それから副総裁と営業局長と2人で増加分を各銀行に融資割り当てをして配分することです。具体的には新木や一万田がプリンスとして選んだ腹心の佐々木直、前川春雄、三重野康の3人がやっていたのです。

 米レーガン政権が1983年に「日米円ドル委員会」の設置を要求してきたときの日銀総裁は、前川春雄だったのです。米国はこれによって、日本の金融資本市場の開放と自由化および金利の自由化を求めてきたのです。

 時の中曽根首相は、こうした米国の要求にどのように対処すべきかを1984年12月末に日銀総裁を退任していた前川春雄にまとめさせたのです。そのときの日銀総裁は、大蔵省出身の澄田智なのですが、中曽根首相は前任者の前川に報告書を作らせたのです。1985年4月のことです。

 そのとき日銀としては、いわゆる1940年体制による戦後経済体制が限界にきていることを認識しており、この米国からのガイアツを利用して、日本を構造改革するときであるとして、前川は報告書をまとめたのです。これが「前川レポート」です。

 具体的にどのようにするかというと、通貨供給量を制御して意図的にバブルを起こし、それを一挙に潰すというもので、10年で構造改革を成し遂げる計画になっていたのです。実際にそれをやったのは、三重野康なのです。

 三重野は、澄田総裁時代の副総裁と自身が総裁時代の10年間で、その計画を実行に移したのです。そして、日本を今までの量的拡大から質的改善、すなわち生産性の向上で構造改革を実施し国際マーケットに生き残ろうという計画です。つまり、日本に長期デフレをもたらしたのは、他ならぬ日銀なのです。そのため、このデフレによる景気後退を「日銀不況」と呼ぶのです。

 改めて考えてみるまでもなく、通貨供給量の設定と制御ができるというのは、大変な権力なのです。それに加えて、日銀は1998年からは、政策に関して政府から干渉されない独立性を手に入れています。まさに「鬼に金棒」です。だから、一万田元日銀総裁は、「日銀マンは鎮守の森のように静かにせよ」と戒めたのです。そんな凄い権力を持っている存在だということを知られないようにせよというわけです。


(続きはここから)

 ところで、日銀は誰が創設したのでしょうか。これに答えられる人は少ないと思います。

 松方正義が正解です。明治期の日本において、内閣総理大臣を2度、大蔵大臣を7回務めた人物であり、晩年は元老内大臣として、政局に関与し、大きな影響力を残した政治家であり、財政指導者なのです。

 松方正義に関して、次の逸話があります。松方は、1877年に渡欧し、1878年3月から12月まで第3共和制下のフランスのパリに滞在したのです。そのときフランス蔵相のレオン・セイから次の3つのアドバイスを受けているのです。レオン・セイは、あの「セイの法則」で有名なフランスの経済学者、ジャン=バティスト・セイの孫です。

1.日本が発券を独占する中央銀行を持つべきである
2.フランス銀行やイングランド銀行は参考にならぬ
3.最新のベルギー国立銀行を例として精査するべし


 帰国した松方正義は、1881年(明治14年)に「日本帝国中央銀行」説立案を含む政策案である「財政議」を政府に提出したのです。

 その直後、明治14年の政変で大隈重信が参議を免職されると参議兼大蔵卿として復帰し、日本に中央銀行である日本銀行を創設したのです。

 実は松方はフランス滞在時にレオン・セイの紹介である人物と会っています。それは、フランスのアルフォンス・ロスチャイルドであるといわれています。アルフォンスはロスチャイルド家の4代目当主です。

 とにかく明治時代から戦争終結までには、日本の上層部は隠さなければならないことはたくさんあるようです。この間の歴史といえば、日本人は、なぜか、司馬遼太郎の歴史小説にはじまる小説のレベルでしか知らない人が多いのです。

 とくに明治の終わりから大正時代のことを知っている日本人は少ないのです。これはある意図の下にそうなっているとも考えられます。小説であれば、事実をいくらでも美化できますし、平気でウソも書けるのです。

 学校での歴史の教育は、古代史からはじまるので、時間的に現代史までは教えきれないのです。しかし、いちばんリアルなのは現代史であり、そこに力を入れないのは、何らかの意図が働いているのではないかと思います。

 日銀を設立した松方正義は、ロスチャイルドのカウンターパートになっており、以後の日銀総裁は、覇権国とのカウンターパートの関係を持っている人物ばかりなのです。松方正義は日銀総裁はやっていませんが、高橋是清、井上準之助、池田成彬、渋沢栄一、新木栄吉、一万田尚登、前川春雄と続く日銀総裁人脈は、すべてひとつのつながりがあるのです。
                        ──[新自由主義の正体/45]


≪画像および関連情報≫
 ●日銀創設/ユダヤの謀略16   ―――――――――――――――――――――――――――

 松方正義首相が政府紙幣を今の紙幣(日銀紙幣)に変えさせロスチャイルドの日本支配を許した
大隈の後を襲って大蔵卿となったのは薩摩藩出身の松方正義である。1885年に内閣制度が創設されるまでは、大蔵卿こそが最高位のポストだった。松方が中央銀行案を推進するのは、明治10年に渡欧してフランス蔵相レオン・セーに会ってからである。

 ネイサン亡き後のロスチャイルド家の世襲権はパリ分家に移り、ジェームズ・ロスチャイルドがロスチャイルド家を統括する第三代当主とされ、その後を息子のアルフォンス・ド・ロスチャイルドが継いで第四代当主となっていたこのアルフォンス・ド・ロスチャイルドの「使用人」ともいえるのが、前出のフランス蔵相レオン・セーなのである。レオン・セーはロスチャイルド家の「使用人」であり「番頭」なのである。

 ゆえに、レオン・セーの示唆によって日本に中央銀行を設立した松方正義は、フランスのロスチャイルド家に見込まれて日本に中央銀行設立案をたずさえて帰国し、権力の中枢についた人物であることが分かるのである。日銀の役割は、不換紙幣、つまり、政府紙幣および国立銀行紙幣の償却である。

 「償却」とはふつう会計の帳簿から消すことであるが、このときの「しょうきゃく」は政府紙幣および国立銀行紙幣を本当に「償却」した。経済学的には紙幣を償却すればマネーサプライの減少となり、市中に出回るお金が減り、すなわち、不景気となるのは当然のことである。これが世にいう「松方デフレ」である。
    http://amba.to/1jrFQvX

画像
日銀創設者 松方正義

(転載終了)




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